地平線まで行ってくる。

記録あるいは忘備録。時には検討事項。

勝手に三国志。GPT2で遊ぶ。

GPT2を使って、文章の生成にチャレンジをしています。

 

bwgift.hatenadiary.jp

なんか、いまいちだった。そこで、試行錯誤して、rinnaのmiddleサイズの学習データをベースに、吉川英治三国志を学習してみた。

 

github.com

 

その結果できた文章。読める文章ができている・・・気が。手軽に、これだけ、文章を作れるのは面白い。

 

劉備孔明に問うた。
 「ますら、貴公はこの一戦のさなか、いかなる妙策をめぐらしたか」
「さればです。思い出せば、二十年ほど前、知人の秦川から、一羽の鹿を贈ってきました。たいへん稀有な鹿で、羽つきで舌ばしりも強く、手に立てても非常に重く、五百斤もおうろうかと思えるものでしたが、朽ちても朽ちても草木を食いますので、値につけては皆手もとになく、とうとう曹操にあげてしまったことがあるのです」
「ふむ。そういわれてみると、なお考えれば考えるほど、これは奇妙だが、大いなる計策でもあろうか」
「さればです。ふと考えたのですが、無名の英傑をあげて、その人物を、ひそかに貴公の麾下へ加え、時々、上庸の城へ呼んで、狩猟をさせたら、どんなことになるかと思いますが」
「なるほど、これは一計だ。さっそく明日、それがしを城へ呼んで、親しく其方と狩猟を共にしては如何」
孔明は、すぐ仮の官渡城へ移った。そして毎日、外敵の糧食毒酒など毒に浸した檻車を、猛獣の群れが通りそうな岸へ上せて、何十台となく車を護岸した。
孔明の「善策」を聞いて、軍はたちまち意気を昂げた。すなわち前後軍に授け、太史慈を先手とし、魏延徐晃などを後陣として、昼夜、金鼓鉄槍を震わせて、陣々の要害に迫って行った。
敵影を見ないうちに、金鼓鉄槍の音は、すでに四方に鳴りひびいた。周瑜の中軍も、徐晃の後ろ備えも、いちどに奮い起って、
「あれこそ、孔明の与えた妙案である。今こそ奪るは絶好の戦機」
と、大声あげて、指揮に当り、獅子奮迅の機を逸しないように、各所に阻めた。
鶏肋
 魏軍は完敗した。これで金鼓鉄槍もすべて鳴りをしずめた。周瑜は、痩せ衰えたお身の上に、また鉄甲を着かさねて、威風あたりを払ったが、
「何たることだ」
と、底知れない敵意に打たれて、喚きもだめよと、左右へ罵った。
すると、程普は、
「丞相のおことばには、其許のため敗れたのでありません。然るに、周瑜の罪は、われらのものより軽い。これを以て、都督に害意なしなどとは、われを盲にした不敬である」
と、耳もかさない。
怒れる周瑜は、程普を床に蹴って、
「さてさて、周瑜の浅慮は、周都督だけの不徳ではない。誰よりも、丞相自身がゆるさんとしておる。この上は、諸将とよく相談のうえ、丁寧に一計をめぐらして来い」と、痛烈に突っぱねた。
程普は、怒りに燃えながら、陸遜の下へ行き、
「都督、それがしの任は、もうしばらく後とします。それがしは、即時、敵へ宣戦します。さすれば、孔明の首は、ふたたびわが手のものになります」と、いった。
陸遜は、苦もなくこのことばを承諾した。次の日、彼はわざと、敵に趣を察知させるため、陸遜の陣地へ出向いた。
 「こんなことをしている暇はないというのに、どうしてあんな急に出てくるんです」
諸将が怪しんで訊くと、陸遜は、
「深更、陣前へもどって、こよいの襲撃の準備をしているからだ」と、言下に答えた。
しかし、大油断はなりません。陣中は寂として、墨の如く殺気が立ちこめている。そして、物見の兵が、星の如くけ通って行く。
「これはいかん」
陸遜は、生捕られるか、部下をひきつれて、敵のあとを追って奔りだそうとしたが、それも敵に見つかるとたちまち追いつかれて、彼の陣地は一支えもなく潰えてしまった。
「都督、なぜ、止めるのですか」
陸遜は、部下に向って、嘆いた。
「いかに襲せても、孔明の首は、ふたたびわが手にかえらない。偽って、深更、陣中へ逃げこめば、諸所へ火を放って、殲滅を加えることは、もう恐るるに足らん。それに、彼奴は、馬がお嫌いだ。馬をかわしながら、悠々、陣内へ帰ってゆくのが、なんとも落だ」
次の日、彼はまた、みずから陣前へ出て、密告した。
孔明は、何事かと、
 「楊儀を呼べ」と、いいつけた。
楊儀は、やがて、彼の前に来て、ことば少なに告げた。
「おそらく、魏延が詐計です。彼は本気で戦っていない。浅慮に、部下の罪を、過大に科し過ぎました。いま一挙に、孔明の首を諸所の火の手へ投げこめば、魏延の首は、一鼓して、蜀中を震せしめるに違いありません」
陸遜は、大いに怒って、
楊儀を檻車の中に放つな」と、他の部将へ厳命した。
楊儀は、部将の首を持って、け出して、こんどは、孔明の陣へかかった。しかし孔明は、ひと目見るや、
「斬れッ」と、ひと声さしまねいて、檻車を放してしまった。
野に真人あり
魏延は、たちまち鉄甲に身を鎧い、駒を揃えて、野火の中へ馳け入った。
そのとき魏延の幕将の一人たる楊儀は、魏延が馬をすすめてくると、
「待ちたまえ」
 と一喝し、
「野に人なしとは、魏延の独りこと。汝もまた、わが口をええているか」
と、魏延を挟撃した。
魏延は、楊儀につづいて、中軍へ猪突して行ったが、そのとき関興と名乗って、五千の味方をひきつれていた。
関興はその日のうちに、さらに、司馬懿の本軍を蹴ちらして、勝ちに乗って引っ返してきた。
司馬懿は、この大捷を、口ほどもなく、誇りにも思わず、
「都督の粘りは、つねにわが逆境をしのいでくれる」
と、楊儀が語るのも忘れて、ただ快然と笑っていた。
渭水の本陣に、戻ってみると、関興は、楊儀と凱歌を奏しながら、凱旋の旗を待っていた。
魏延は、待ちきれず、
「あらばあれ、司馬懿をここへ」
 と、水辺まで馳けてきて、待ちかまえていた。
司馬懿は、楊儀との交情を、口を極めてたのみながら、
「おそらく彼は、大なる野心を抱いている。渭水の彼の陣所は、まさに我が陣地だ。わが前へ彼が攻め寄せてきたのを見ては、胆をつぶし、兵を収め、ふたたび渭水へ帰るだろう。しかし、敵の備えは、虚である。従って、彼が渭水へ逃げてくるのは、破竹の如きものだ」
と、いって、まずその虚勢を張らせ、自身は西の山へ向って、兵糧の運輸を励ましていた。
この態を見るに及んで、魏延は、「これはいかん」と、いよいよ慌て出した。そして楊儀と凱歌を奏しながら、水辺へ向って、逆寄せの令を発せんとした。
「待ち給え。味方の危機とあれば、なおさらもその通りである。帷幕の将、どっちが旗を見て、破竹の勢いか知れないぞ」
と、楊儀とともに、水辺へ向って、爪牙を研ぎ立てた。
渭水の序戦は、ここに破れ、魏延の軍は潰走を余儀なくされたが、渭水の退路は、断じて、断じて、守るを旨とすべきであると、以後、固く守って、遂に、渭水を抜くこともなかった。
魏延は、楊儀と凱歌を奏しながら、ほとんど、手応えなく、魏軍の中へ、敗北を招いた顔見合わせで、引き揚げてきた。
その途中、
「そうだ。ここは、俺の陣地だ。楊儀と一手になって、一掃してくれ」
 と、気負い立って、部下を従えて、山越えに越えて行った。
すると、途中で、一軍の魏延に出会ってしまった。これはやや敵をあざむく、好餌ばかり待っていた。
「うい奴だ。魏延を生ってこい」
たちまち、彼の前に、矛を逆しまに突き立てられたので、魏延は、
「やっ、来たか」
と、馬を躍らせて助けよとしたが、魏延は振り向いて、槍を横たえて、
「世にきこえた神通力者がある。神通力なく、神通力なく、九死一生を棒に振った俺を、神通力のある口ほどにしろ」
と、励まし励まし逃げのびた。
「口ほどもない奴、その首を置いてゆけ」
馬を立て直しているまもない。四山は暴れまわって、魏延を追いまくった。
すると、やがて、魏延の部下が、追いついて、馬を奪ってきた。魏延は、
 「これっ、神通力のある奴ならば、今のうちに、降参してしまえ」
と、馬を躍らせて、神通力なく、逃げのびた。
そして、南安郡(甘粛省・蘭州の東)の城へたてこもると、太守王平が、すでに攻めあぐねて、味方の援軍をたのみに待っていたところであった。
「何をっ」
と、剣を鳴らして、呼ばわった者がある。
玄徳の命に、
「降参ッ」
と、答えながら、はや馬をすすめてきた一騎の人がある。
見れば、青面の大をいただき、腰には、一の燈火を垂れ、眉には、怒れる風をみなぎらし、は、天に向ってく。
これなん、蜀の猛将孔明でしょう。
「おおっ、これに」
 と、玄徳も、鞍をおりて、前へ進み出るや、関羽に力を添えて、あれよと、彼のそばへ寄り添った。
「南安の太守、どうしますか」
「そちがここにいても、大事はとれまい。汝に取次いでくれ」
「よろしい、では、早速、それがしが、行って参りましょう」
関羽は、玄徳の馬を引かせて、自ら先に立ち、
「やあ、羽将軍があれへ」と、呼びかけた。
玄徳は、恐して、
「何処の、者か」と、馬上からたずねた。
「うむ、汝らの前にも、かつては、羽将軍がおられたではないか。それがしは年七十に及んでおる。耳も遠く眼もかすんでおる。それでも、よくこの関羽を扶け、防ぎに出たか」
関羽は、改めて、
「その以前、それがしが若年から許都に在った頃、よく洛陽を守っていた者ではないか。その後、魏に仕えて、黄巾賊の乱にもいささか功をたてた。だが、その頃まだ、汝南には、黄巾賊も疾くおりませんでしたろう。その後、洛陽の離散中に、人物を見出し、かくは、汝南へつかわして、残党をたくみに買収し、お味方に加えて来おった。これは当時、汝南において、如何なる功名も持たない者が、幾人かあったためである。それを思うと、汝南の黄巾賊は、風のように去って行ったのは、いかに功名を持たない者でも、徳せば、すぐ追いつけるほど、味方に手強かっただけのことだろう。さすがに、功ある者は必ず慢心せず、よく節操を守っているものだ」
 玄徳の感嘆は、いうまでもなかった。さすがに、司馬徽の如きは、他人の訓戒を、すぐ自分のことばに直して云いだすのだった。